続・江戸の地図

今でもよく目にする「切り絵図」が作られるようになります。江戸の町の6割以上の面積を占めた大名屋敷や旗本・御家人が住む武家地では、現在のような表札もなく、また広大な屋敷に至っては塀が長く続き、門の位置も定かでなく、訪問者が目的地を探すのにも手間のかかることでした。そこで住宅地図のような切り絵図がつくられました。「江戸切絵図」は、大絵図とことなり地域別に詳細にかかれます。大名屋敷だけでなく旗本屋敷、大きな寺社から小さな稲荷、町家まで記載され、文字も漢字書きです。江戸切絵図はで地図上に書かれる名前の向きが横向きや天地逆などバラバラになっています。それは表門のある方を頭にして名前を書いていたからです。どの位置に表門や玄関があるのかがわかるようになっています。家紋がある記されている上屋敷。

■印は隠居藩主、嗣子等の常住屋敷で花見や月見などの宴遊も使われた中屋敷。

●印は郊外の別邸。

江戸という街は武家の屋敷が多いのが特徴で、江戸の6~7割が武家地でした。町人地は江戸初期が10パーセント程度でしたが、幕末期には20パーセントとなります。1722年の調査ではに江戸の町方人口約48万のうち、男子約31万、女子約17万人だったそうです。各都市から流入して来るのが男性が多かったからなのでしょう。大人数を占める武家については極秘とされていました。これは、大きな遊郭などができあがる理由と考えられています。

また、江戸の人口当たりの居酒屋の軒数は現代の東京割合よりも多く、飲食店が多かったといいます。江戸は人口的にも、武家社会の側面からも男性都市といえ、それゆえに女性による花街、遊郭の文化も発展します。切り絵図は色も多彩で白は武家屋敷、赤は寺社、鼠は町屋、黄色は道路、青は川、池、緑は緑地や馬場などをあらわされます。4つの版元があり、それぞれ趣向が異なり、美術品のように楽しまれたともいいます。

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