アメリカという新世界

イタリア人が北米に到達したことや、カブラルがブラジルに漂着したことは、新大陸の探索を加速させました。その成果として、アメリゴ・ヴェスプッチが新大陸の真実を解き明かし、そこがアジアではないことを知ったのです。

世界地図の概念は大きく変わりました。

16世紀に入ると新大陸も地図の仲間入りとなりました。既に「America」の文字も書き入れられていました。

ヴェスプッチの知らせてくれた真実は、間違いなくヨーロッパ人にとって大きなことでした。しかしこの時期から新大陸も植民地になってしまったことは、アフリカ大陸の前例と同様に、何とも嘆かわしいことです。

アステカ、インカの文明も破壊されましたし、破壊された後はスペインの植民地になりました。原住民は奴隷としてこき使われたばかりでなく、彼らにとって対策法の分からない西洋の疾病にも悩まされ、支配される苦しみに襲われました。

原住民がばたばた亡くなっても奴隷はアフリカから供給され続けました。アフリカの奴隷はプランテーションで酷使されたのですが、その割には効率的に生産できませんでした。

香料は育てるには土地が悪く、金銀も収奪されつくして何も残っていませんでした。魅力的な市場ではなかったのです。

それでもポテト、トウモロコシはヨーロッパ人を苦しめていた食糧事情を好転させたことが知られています。プランテーション経営にそれなりの意味はあったのです。

 新大陸が開発された後はアジアが狙われ始めました。マゼランはその流れを受けて航海を命じられ、大艦隊を先導したことで有名です。彼は新大陸に到着して、さらにそのまま太平洋を横断し、フィリピンにたどり着きました。

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