世界地図の刷新

大航海時代に地図は大きく変わりました。

太平洋の存在を知ったヨーロッパ人は、それまで信じていた経度の知識を疑うようになり、近代地図を作り出す機運は高まっていました。重要な契機は幾つもあり、例えばオルテリウスの地図は革新的なものとしてよく知られています。

ここまでくると、近代地図の背中が見えてくるようになりました。航路に関しては、長らくスペイン・ポルトガルがリードしたのですが、イギリスも北回り航路を探索し、ロシア、新大陸の北岸に沿って調べ上げていけば、いつかは噂されているアジアの国々にたどり着けると信じていました。

しかし北の海は流氷が多く、それらに阻まれた船は思うように進みませんでした。それでも多数の犠牲を出しながら、ニューファンドランド、ランカスター海峡を知ることになったのですが、太平洋の海峡にまでは至りませんでした。

北の海を航路として設定したのは間違いでした。しかし、世界地図の歴史を考える上で、その影響は無視できません。そうした挑戦で得られた情報の断片が集まると、地球は丸いのではないかという説が徐々に力を持ち始めたのです。

地球儀のようなものまでこの時期に出現したのはその証拠でしょう。

しかし、実は地球儀の存在は、厳密には古代にまで遡ることができます。地球儀は紀元前160年前後に初めて作られたとされていますが、もちろん当時の地球儀には4大陸が描かれておらず、想像の世界を形にした地球儀でした。

地球儀は、地球が丸いとは夢にも思わなかった中世では、その存在が忘れられていましたが、イスラム世界では沢山作られています。ヨーロッパで再び地球儀が見られるようになったのは、ルネサンスに入り、球体説が復活してからのことです。

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