エンリケの野望

ポルトガルの航海に貢献した人物は、間違いなくエンリケ王子でした。彼は積極的に航海を指導し、アフリカの西岸をつたって南に向かう航路を発見していったのです。

中世では、アフリカの南側については何の知識も無く、王子はアラブから齎された情報を信じ、それを確かめようとしました。また王子は、アジアにキリスト教国が存在すると信じていたと言われています。

エンリケが亡くなってもポルトガルの航海熱は冷めず、ジョアン2世が後継者となりました。15世紀には赤道を越えることができ、その後挑戦に弾みが付きました。

もちろん喜望峰を発見したり、カリカットに到着したりしたのはそれ以上の成果であり、正に歴史的な探検でした。ポルトガルはこれらの航海で富を蓄え、世界に冠たる国になりました。

インドと直接貿易して香辛料を独占的に輸入したり、インドネシアを手に入れたのもその延長線上にありました。中国とも交易し、その流れで日本にもやってきました。

これらの開拓は勇敢だったとも言えるでしょう。しかし、アフリカを植民地にした時代であったことも事実です。

航海によって奴隷も富も手に入れられました。しかしそれにはリスクも伴います。そのリスクを小さくできるかは、航海技術にかかっていました。

旧来の航海技術では地中海を離れることさえできなかったのですが、船の開発が進み、大航海時代には北ヨーロッパを自由にわたることができるようになりました。

旧モデルの船は大きくて大量のものを一度に運ぶことができましたが、順風を前提としていたため、無風の天候下では、多くの人員が必要になりました。他方、新モデルの船は小型でしたが、複数のマストを備えた機能的な船で、天候に左右されませんでした。

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